旧六若


昭和15年 大都映画「日柳燕石」の当地ロケに出演


向かって左が六条。右は旗岡。七重蒲団の上に乗っているのは、ご存知「ゑじま屋まっさん」。
主演は杉山昌三久。当時の若いし達がちょんまげ姿のエキストラで出演したらしい。

(ロケ風景の動画有り。なんとワシも持っとるで)
↑画像をクリックで拡大表示 (写真提供 六条貞広傘屋さん)


昭和26年 春日神社前


蔵中と一戦交えてます。
家並みが今と全然違うな。春日さんの杜も鬱蒼としとるな。あんな大きな松は今は1本も無いぞ。
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上の写真と見比べてみます。

蔵中の位置はほとんど変わってないのに、うちのは左に写っている家の分だけ春日さんのほうへ押し込んでいます。
明らかにうちから仕掛けとるな
・・・
大体、こっち側(西側)に金縄の結びが無いということは、進行方向が後ろ向きってことやん。
つまり、最初から前を春日さんのほうへ向けとったことになるな。
ということは、御神事に行った時からやる気満々やったということになるわな・・・。
↑画像をクリックで拡大表示 (この2枚の写真提供 じろちゃん)

上の2枚を拡大して思うこと


この写真を拡大してびっくり!
なんと蒲団締めの左右を逆に付けています。

昔の写真とか、神社に1台しか無いような地区とかではちょいちょい見かけるけど、まさかうちのちょうさがこんなことしとるなんて・・・・・
こういう間違いは、人手が少ないため地区の中でちゃんと継承されてないとか、他にちょうさが無いため見比べることが出来ないので気付かない、などの理由で起こるんだと思ってました。
最初は「ふが悪うて」この画像をアップするのを止めとこかと思ったくらいです。
たまたまこの年の世話人の中にうるさい人がおらんかったんかな?中老や元老はいったい何しよったんやろ?
でも、これもうちの歴史上の紛れも無い事実であることには違いありません。

旗も宇多津みたいな付け方やなあ。今みたいに位置がどうの、角度がどうの・・・ってこだわっとんのがアホみたいに感じるなあ。
この付け方やったら、蒲団締めも旗の文字もよう見えるぞ。蔵中の旗はやたら大きいぞ。

七重蒲団に付けとる提灯も、なんか商店街の大売出しの余りみたいやな。
戦後の物が無かった時代に、みんなで工夫したんやろなあって勝手に推測はしてみると、なんとなく当時の人たちに好感が持てる。

昔のこういうモノクロ写真のほうが、今のお祭よりも熱気や賑わいを感じるのは私だけであろうか?

昭和27〜30年? 六条の表筋


右側の商家は、お豆腐屋さんと山本のタイヤ屋さん。
(今のロックのお菓子屋さんと元岡野の薬屋さん)

その隣りに新野の畳屋さんの看板がハッキリ見える。

岩佐本宅の松の木は今もそのまま。

これらの看板などから推測し、昭和27年〜30年の間ということが判明!



拡大した写真をよく見ると、
むむっ!肩入れよらんかい?

たとえ他所の地区を廻る時はゴマ付けても、六条の中でゴマを付けることは絶対に許されなんだ・・・・という伝説あり
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手前は横瀬のちょうさや。
おおっ、肩入れよるやん!


よう見たら、六条の前に蔵中もおるがな!


ひょっとして3台が並んで六条の町筋を舁いて進んみょんか?! 

これこそ「昔はゴマやか付けんと榎井中舁いて廻んりょったんやが!」という超伝説時代の写真なのか?



ええのー、この風景。
ワシもこの頃に生まれたかったのー
こういうこと、またやってみたいのー
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左側の商家は、間違いなく昔の石井金物店の店構え。

上の写真と提灯の付け方が違う。
写した年代が違うのか?


今も昔も、ちょうさを据え置いとるときは、子供は舁き棒に乗りたがるのは一緒やな。
↑画像をクリックで拡大表示 (この3枚の写真提供 東六自治会長 Kさん)


昭和30年頃?の喧嘩 


この写真、ちょうさの向きがどうなっとんかさっぱり分からんけど・・・

向かって右側手前のちょうさは、旗の色と七重蒲団の一段一段が角ばった独特の形状から推測して旗岡に間違いない。


うちのは向こうの方にうっすらと写っとるだけや・・・

何の上に乗っとんかしらんけど、一生懸命に見ようとしている当時の子供達がええなー
女の子もおるやないか(この子も今はええおばさんやろな)
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向かって右側に写っている対戦相手は?
いったい旗岡か蔵中か?

横面に旗が付いてないし、

七重蒲団の面は角ばってないよう見えるし、締め布団の形状からも、
旧蔵中(そらーさした参照)のように思えるけど・・・


まあ、どっちでもええわい

どっちにしても、
よもよもせんと、早よ持って来てみぃ!
         ・・・・って場面でしょうか?
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分かる人には分かる写真ですなー。

どっちがうちので、相手はどこのか分からんけど、なぜか迫力あるなー!
(この3枚の写真提供 三好のこーちゃん)


昭和32年 組立てとワシ


叔母さんに抱かれたワシから推測して、昭和32年(生まれた年)に間違いなし!

高田建具店や樋口のたこ焼屋あたり、つまり元の荒神さんのあたりやな。(荒神さんは樋口の横にありました)

手前ののぼりは、今では信じられない、川の上に小屋を建てていた増田の肌着屋さん。

昔からこのあたりは道が広かったんですね。
ほいで図々しくも、うちのちょうさは公道で組み立てていたんですね。
組み立ててからも平気でここに置きっぱなしだったらしいです。

年配者から聞いた話のとおりや。
1枚の写真は百の言葉よりも雄弁やなー!

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昭和32年 ゾクゾクする写真


上の写真と同じ日に撮られた写真。
場所は不明やけど、えじゃーないかの写真。
虎の掛蒲団も確認できる。

なんかしらんけど、めちゃくちゃええ雰囲気の写真や!

ワシの今は亡きオヤジが棒端の真ん中を勤めよる。
その回りも、それなりの当時の若いし連中。

ほんまにゾクゾクしてきます。。
ワシには一番の写真です。
↑画像をクリックで拡大表示 (この3枚の撮影 親父の従弟Eじさん)


昭和33年頃? 春日さんの馬場
管理人のアルバムの中にある、昔の六若がはっきりと写っている貴重な3枚の写真です。
この2枚はおそらく昭和32年か33年と思われます。

今は長老のおっさん連中が当時の若衆で、実にええ顔してえじゃないかしていますね。ちょうさの格好やバランスも、私にとっては理想の姿です。

構図もええし、後ろから当時の蔵中が迫ってきている雰囲気もよう出とるし。一体誰が撮ったんやろ?
私の二番めに好きな写真です。

なお、拡大してよく見ると、幕の題材は「志度の玉取り海女」だったのが判ります。
これもやっぱり進行方向が後ろ向きですけど・・・
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あ〜あ、上の続きはやっぱりこれか・・・
まあしゃあないわな。

あれっ、蔵中のたつ棒が上に乗ってないか?
蔵中の締めが反対に付いとる。

新調の時に踏襲した、蒲団締めの特色あるデザイン、昼提灯の金具、えらく太い金縄の迫力がよくわかる1枚です。
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昭和35年頃? 春日さんの前あたり



アルバムの貼り位置から、上の2枚から数年後の写真と思われる(昭和35年頃か?)。
旗の色もよく見ると明らかに濃くなっている。新調して色を変えたのか?


ワシのじいちゃんがうれしそうな顔して写っとるわい。当時の長老のおっさん連中やな。
しかし、よう見たら、もうボロボロのちょうさやのう。

多分、この後くらいに運行を止めたと思われる。
出さなくなってしばらくは興泉寺に置きっぱなしになっていた。ワシも軒下に置いてあった土台や、山門の梁の上にのせてあった裸の七重蒲団はよう憶えとる。
子供心ながら、七重蒲団の竹の網代に貼ってあった柿渋を塗った和紙が、醤油をまいたように見えて妙に汚いと思ったもんだ。


昭和40年代に一式が旗岡に売却された。旗岡は蒲団締めは最近まで、幕も少なくともワシが小学校の頃は身に纏ってくれとったな。
今思えば、ライバルであった六条のちょうさのことを忘れないぞという、旗岡の心意気みたいなもんを感じてならない。


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