,締め布団三代


初代(と思われる)

口元、鳥のような腕、顔付きなどから、高木定七縫師の作品でないかと推測されている。
定七氏は明治中期まで琴平町金山寺町に住んでいたので、その可能性は非常に高いと思われる。
ちなみに、観音寺に移住した後、「松里庵」という屋号で刺繍屋を始め、今でも4代目が営んでいる。
当時は帯の中に納まる細い龍が主流であったが、このように胴体が帯からはみ出し、帯を巻くようなデザインは斬新であっただろう。
阿龍は宝珠を持つが、吽龍は剣を持っていない。
私は特に吽龍の顔付きが好きだ。片目が無いのが実に惜しい。(阿龍の目は素人が修繕したと思われる。)
昭和40年代に旗岡にちょうさ一式と一緒に売却され、つい最近まで使われていた。

二代目(と思われる)

昭和50年代の子供ぢょうさ時代に、満濃町生稲より購入。平成2年の本体の新調時から後も平成14年まで使われた。
山下八郎縫師の作品だと言われている。
すでに金糸の色はとんでいるが、骨太の迫力ある龍は確かに山下の作風であると思われる。

三代目(と思われる)


平成15年新調。新居浜市葛燉リの作品。
ちょうさ好きの六条の長老連中に印象深かった初代の特徴を出来るだけ踏襲しつつも、斬新な合田作風に仕上がった作品である。
差し鱗技法や睨みのきいた顔付きは、見れば見るほどええ作品やなあと感じる。
特に吽龍の顔の傾げ方は絶品だと思う。
出来上がった時に、口うるさい長老連中が喜んで誉めてくれたことは、非常にうれしい出来事であった。
締め布団が変わっただけで、ちょうさ全体がすごく綺麗に見えたなあ。


比較しやすいように三代を並べてみました。締め布団の高さは三代ともほぼ同じなので、画像の高さを揃えました。
時代や作者によって、顔の大きさや横幅の移り変わりがよく分かります。
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