,ちょうさの聖地1
(旧金毘羅大芝居)


 いろんなことを調べたり、新しい知識を得たりしていくうちに、小さい頃から見慣れたすごく身近にある、現存する中では日本で一番古い芝居小屋が、ひょっとしてちょうさや太鼓台の存在にとって、非常に関連があるんじゃないかと思うようになりました。いや、と言うより、この芝居小屋無くしては、今のような煌びやかなちょうさや太鼓台は無かったんじゃなかろうか・・・云わば「ちょうさの聖地」じゃなかろうか・・・
 そういう自分勝手な思いを、私のブログ「とばしたーとばした 六若じゃい!」の2005年4月20日〜5月21日の間、25話に渡って延々と綴ったわけなんです。
 そのシリーズからピックアップし、編集して一つにまとめてみました。
 なるべく原文を尊重したため、少々繋がりの悪い箇所もありますが、是非残しておきたい「私の思い込み」ということでご理解いただきたいと思います。


金毘羅大芝居 (2005年4月20日)

芝居小屋の正式名称は、旧金毘羅大芝居(きゅうこんぴらおおしばい)
建立は天保6年(1835年)、つまり明治維新の30年ほど前のこと。
国の重要文化財指定は昭和45年(1970年)。
もともと建っていた場所から現在の位置(行ったことある人にしか分りませんが)に移築・復元工事の竣工は昭和51年(1976年)。


金山寺町 (2005年5月7日)

「金毘羅大芝居」は、かつては写真の場所に建っていました。怪しいワールド住民なら一目でわかる建物ですね。
2階は公民館、1階は幻の谷川のちょうさ(坂若)を展示している歴民館を併設している「琴平町文化会館」です。

このあたりは、かつては金山寺(きんざんじ)町と呼ばれていました。
今の小松町(こまつちょう)と通町(とおりちょう)あたりですが、これはさすがに町内の人でないと分かるまい。
金山寺のちょうさ、つまり金若を所持している地区のことです。

「讃岐国名勝図絵」(1853年)の「金山寺町夜景之図」にも描かれたこの町は、茶屋や置屋で賑わう遊楽の町やったわけですな。

ここに芝居小屋を建てたってことは、東京の歌舞伎座というよりも、新宿のコマ劇場とかミナミのなんば花月みたいなもんやったんでしょうかねぇ。
芝居小屋では富くじ、つまり今の公営ギャンブルみたいなもんも行われていたらしく、「飲む 打つ 買う」すべて揃ったパーフェクトな町やったわけやね。

この小屋の建設にあたったのは、今でいえば観光業者みたいな町方らしいが、
その費用はなんと芸者さんらの花代をピンハネ(ハネ銀)して積み立てたらしいな
当時はどうかしらんけど、無茶苦茶やな。 

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